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| ここは、サイト運営者木村雄作の、エッセイコーナーです。 毎月1日に差し替えます。暇な方は、読んでみて下さい。 |
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| “遊びの心”(男性編) | ||
| 魚は、魚屋へ行けば、いくらでも手に入る。 しかし、釣り人は出かける。 早起きをして、寒さも暑さもものともせずに出かける。 確実に釣れる保証はどこにも無い。海も、常に穏やかとは限らない。時には荒れて、小さい釣り船を飲み込む危険もある。魚も、常におとなしく釣られてくれるとは限らない。 時には、はぐれザメが襲って来るかもしれない。 そんな大変な事をしなくても、魚屋へ行けば、いつでも確実に手に入ると言うのにである。 なぜだろうか? 答えは、それが“遊び”だからである。“遊び”とは、一生懸命努力し、冒険をする事だ。 必ずしも、結果が全てではない。その行為そのものに、楽しみや意義を感じる事が出来る行為だと思う。 恋の遊びもまた、これに良く似ている。ソープランド・ホテトルなどを利用すれば、今ではかなりの美人と、間違いなく“事”を行える。それも、いたれりつくせりのサービス付だ。 ピンクサロンなどへ行けば、それよりも安く若い美人に触る事が出来て、ほぼ満足させてもらえる。 しかし、“恋の遊び人”は、それだけでは満足出来ない。少しでも心が触れ合える新しい恋を求めて、そのチャンスを探す。 そして、そのチャンスを提供する事業がある。 この、インターネットによる出会いサイトも、その一つだ。 だが、これらのいずれの場所でも、それが本物であればあるほど、その結果について保証することは不可能だ。“恋の冒険者たち”は、よくこの事を理解しなければならない。 魚はそこに居ても、全ての釣り人に釣れるとは限らない。それだからこそ、“遊び”としての価値があるのである。釣れなかったからと言って掛かった費用を惜しむなら、最初から釣りに出掛けない事だ。 世の中には、ピラニアも居れば、サメも居るかもしれない。すばらしい魚を釣り上げる事は、あくまでも、その人の努力と腕であろう。 一匹の魚を釣るために、苦労をしお金を掛けるのが、本当の釣り人だろうと思う。魚屋で魚を買う人に釣り人の心が分からないように、確実な見返りを求める人は、恋を探すのは、やめたほうがいい。 自分の気に入った相手が、自分に確実に惚れてくれる事を期待する人は、“恋の狩人”としては、あまりにも不向きだ。 本当の恋とは、一生に一度出会う事が出来ればいいほうだ。 よく男性は、「相手の女性が打算的すぎる」「心が無い」と相手をなじり、嘆く。 しかし恋とは、相手に押しつけて得られるものではなく、金で得られるものでもあるまい。 女性の恋の大部分は、“尊敬”だと思う。 つまり、女性に尊敬される男性である事が必要だと言う事だ。 だから、“恋の遊び人”を自認するならば、自らを磨き、一流紳士になるほかあるまい。 しかし、大人の恋は、“遊び”だ。 “遊び”には、“遊びの心”が必要だ。 失敗もまた、遊びのプロセスの一つだ。 一生恋を探し求めて、その殆どが無駄な努力や、費用であったとしても、それを惜しむ人は、本当の“恋の狩人”とは言えまい。 それを惜しむ人は、魚屋で確実に魚を買えばいい。その方が、限りなく安上がりであろう。 “恋の遊び心”は、釣り人の心に似ている。 |
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| 【掲載済み】・思いちがい 夫婦の愛 誰のための人生か |