ここは、サイト運営者木村雄作の、エッセイコーナーです。
毎月1日に差し替えます。暇な方は、読んでみて下さい。
“思いちがい”
 世の中には、思い違いをする事はいくらでもある。しかし、笑って済ませない悲劇となる可能性が多いのは、男女の仲の思い違いではなかろうか。
 男はある日、クラブと称する所に遊びに行った。席に付いた女性は、美しく、魅力的で、しかも優しかった。
 いろいろと身の上話までしてくれて、男は“心の触れ合い”を感じた。「また、来て下さいね」の言葉に誘われて、ついつい預金を下ろして、度々その店に行くようになった。
 だがしかし、いつしか預金もすっかり無くなる頃になっても、女は、男の期待に応えてくれる事は無かった。
 男は、「だまされた」と思い込むようになる。その一方の女性は、「もうこの男は、お金を持っていない」と感じて、じゃけんになる。
 逆上した男は、女の帰りを待ち伏せして、襲う。腹いせに、1つか2つぶんなぐってやろうと思っていたのが、口論の中で罵声を浴びせられて、つい我を忘れて、殺人に及ぶ。
 よくあるケースである。女は単なるビジネスで笑顔をつくり、話題が無かったから身の上話をしただけだったのに、男は、自分に好意を持ってくれたものと、思い違いをしてしまったのである。
 男と女は、死ぬまで求め合うものであろう。しかし、このような思い違いは、常にあり得る事なのだ。
 男は、女と比較しても、常にロマンチックである。そこが又、笑えない悲劇が起こってくる由縁でもある。
 中年から初老に至ろうとする熟年男性でも、やはり、思い違いから失敗するケースは、多いのである。
 例えば、自分の子供のような若い女性に対して、“純愛”を期待したりする。
 つまり独身の若い女性が、妻子持ちの自分に対して、代償を求めずに、純真に愛を捧げてくれる事を、期待したりする。
 冷静に考えてみれば、彼女達が恋の相手に、中年または初老の、それも妻子持ちの男性に惚れることが、いかに不自然であるかに気が付くはずなのだ。
 彼女達が、将来の結婚につながる本当の恋の相手を求めるなら、その最低条件は相手の男性が独身であることであり、さらに、年齢的にも自分にふさわしい相手を選ぶ事であろう。
 だから、彼女達が、親子ほど年の離れは中年男性に接して来る動機は、男性の経済力に魅力を感じての他は無いのである。
 恋の冒険者である我々男性は、その事をしっかりと頭の中に置いていなければならない。とんでもない思い違いから、残りの人生を棒に振るような事が有ってはならない。
 映画やテレビドラマのような、夢の様な世界がゼロとは言え切れない。しかし、その確率は、限りなくゼロに近い事を、知るべきであろう。
 家庭には、波風を立てたくない。子供も可愛い。しかし、相手の女性が不誠実だと言ってなじったりする。これは、少し虫が良すぎると言うものであろう。
 では、我々中高年者と、若い女性との交際はどうあるべきであろうか?
 私は、こう思う。
 彼女達にごちそうしてあげたり、多少のお小遣いを上げたりする事は、やむを得ない事であろう。兄貴・友達・父親になってあげて、良き相談相手になってあげたりする。
 そして、やがてその彼女に本物の恋人が出来て、別れを要求されたそのときは、それまでの付き合いに感謝し、心から祝福し、喜んでさよならできる心の余裕を持ち続ける事ではなかろうか。
 それで良いではないか。若い彼女と、映画を見たり、旅行をしたり、ドライブしたり、オシャベリしたり、あるいは、夜の街を腕を組んで歩いてくれる事だって、あるかもしれない。
 誠意を持って接すれば、彼女達も別れが来るその日まで、きっと誠意を持って応えてくれるものと思う。
 熟年男性には、そんな心の大きさと、ゆとりを期待したいものである。
 恋の冒険とは、やっかいで、めんどうくさくて、ややこしいものである。
 しかし、俺たちの永遠の憧れは、やっぱり、そんな女性達なのだ。